フォスター植物園がスタートしたのは1931年。マリー・フォスターの庭園がホノルル市郡に遺贈され、一般開放されたのが始まりです。ハワイで最初にできた植物園で米国の国家歴史登録財に指定されています。
フォスター植物園は、もともとはハワイ王室が所有していた土地にあります。園内には年輪を重ねた巨木も生育しており、自然の豊かな歴史あるスポットとしてひそかに人気のある場所です。
このページでは、フォスター植物園の歴史をご紹介します。王室の所有地がどうして植物園になったんだろう? と気になったらぜひ参考にしてみてください。
フォスター植物園の基本情報や行き方、地図などについては「ホノルル市内『フォスター植物園』おすすめの過ごし方」の記事にてくわしくご紹介しているので、もしよかったらそちらもチェックしてみてくださいね。
目次
カラマ王妃からドイツ人医師へ
フォスター植物園はオアフ島のダウンタウンエリアにあり、かつてカメハメハ3世の妻カラマ王妃(1817~1870)が所有していました。
カラマ王妃(画像下)は、1848年に施行されたハワイの土地分配法「グレートマヘレ」によって多くの土地を所有。ダウタウンの地もその一部でした。
ヒレブランドは、肺病の療養もかねてハワイへやってきた医師で植物学者。ヒレブランドはその地に約20年居住し、そのあいだ、異国のハーブや樹木などさまざまな植物を庭で育てました。これが植物園の原型となったといわれています。
ヒレブランド博士の仕事
ヒレブランド(画像下)がハワイへやって来たのは1850年のこと。それまで温暖な気候を求めてオーストラリアやフィリピン、アメリカ西海岸などを旅していたようです。
ヒレブランドは、サンフランシスコで出会ったアメリカ人医師のウェズリー・ニューコム(Wesley Newcomb, 1818~1892)とハワイで開業。仕事場はカラマ王妃の所有する土地のすぐ近くでした。
さらに5年後には王家の側近メンバーに加わり、カメハメハ4世(1834~1863)一家の主治医として働くようになります。さらに、王と王妃が設立したクイーンズホスピタル(現在のクイーンズメディカルセンター)の初代院長に抜擢され、ハンセン病の研究にも携わるなどハワイの医療に貢献します。
1865年には、医師としての仕事以外に、サトウキビ農場の新たな労働力を求め東南アジア諸国へ赴くことになります。ヒレブランドは、この任務で東南アジア諸国の植物や鳥、動物をハワイへ持ち帰り、自宅の庭で育てます。
植物は観賞用、日陰用、果実や花をつける樹木など多岐にわたりました。ヒレブランドはそれらの植物を多くの人に分配し、ハワイの農業や園芸を発展させました。
ヒレブランドは、その後、1870年にドイツへ帰国。ふたたびハワイへ戻るつもりでしたが、その願いは叶いませんでした。
マリー・フォスターが庭を拡大
1880年、ハワイへ戻ることを断念したヒレブランドは、王族の血を引くマリー・フォスター(Mary Foster, 1844~1930)(画像下)と夫トーマス・フォスター(Thomas Foster, 1835~1889)に土地を売却しました。
フォスター夫妻は、ヒレブランドが残した美しい庭園の手入れを続けますが、1889年にトーマスが他界。マリーはそれから約40年、ひとりで庭園を守りました。庭の植物をさらに増やし、かんがいシステムを導入するなど整備にも力を入れました。1919年には、サトウキビ農業の研究開発のために庭の一部を提供しました。
マリーはおよそ50年かけて手入れを続けてきた庭園を、自分の亡き後もそのままの形で残したいと考えました。1930年、庭園内でサトウキビ農業の研究開発の責任者をしていた植物病理学者のハロルド・L・ライオン博士(Harold L. Lyon, 1879~1957)の助言により、マリーはフォスター家の土地を美しく保つことを条件にホノルル市郡に遺贈することを取り決めました。
1931年、こうして庭園はマリーの遺言とおり「フォスター植物園」として一般に公開されることになりました。
フォスター植物園へ入るとすぐに目を引く大樹があります。これは、1913年にスリランカの仏僧アナガーリカ・ダルマパーラ(Anagārika Dharmapāla, 1864~1933)(画像下)から贈られた菩提樹で、「ゴータマ・ブッダの菩提樹」の子孫にあたる木として知られています。この記事のトップにある画像がその菩提樹です。
仏陀はインドの菩提樹の根元で悟りを開いたといわれています。フォスター植物園の菩提樹は、そのブッダの菩提樹の若枝をもとにスリランカで生育した木が親木となります。
マリーはダルマパーラとの出会いによって仏教へ改宗しました。二人の出会いは、1893年のこと。当時、マリーは夫トーマスの死による悲しみとともに暮らしていました。そんなとき、ハワイへ立ち寄ったダルマパーラと面会の機会を得て、喪失感から自由になる方法として瞑想を教えてもらったといわれています。
以降、マリーは寺院や学校設立の援助も積極的におこない、そうした活動の謝礼として菩提樹が寄贈されたといわれています。
ライオン博士の功績
1931年に誕生した「フォスター植物園」の中心人物といえば、マリーに庭園の保存方法を助言したハロルド・L・ライオン博士です。ライオンは植物病理学者で、植物園の初代ディレクターを務めた人物です。現在も園内に「ライオン博士の洋ラン園」と名づけられたエリアがありますが、とりわけ熱意を持って育てたのが洋ランだったようです。
しかし、ライオンの本業は他にありました。サトウキビが丈夫に育つための土壌研究とサトウキビの代替作物の開発、そしてハワイの環境保全の研究です。
20世紀初頭、ライオンは、ハワイの大地が馬に踏みならされたことで硬くなり、もはや在来種が育たない環境下にあると気がつきました。問題を放置すれば、ハワイの脆弱な水資源はますます貧しくなり、農産業の衰退につながります。
そこで、ライオンは硬い土地でも育てられる外来種を探し、10,000以上の植物を植え、オアフ島を緑豊かな島へと導きました。
今日、オアフ島民の生活を支える水資源と農産物は、こうした100年も前に実施された持続可能な環境づくりの恩恵を受けていることがわかります。
このように、ライオン博士の研究や実験のフィールドとなったのがフォスター植物園です。かつてカラマ王妃が所有していた土地は、訪れる人の気持ちをなごませるだけでなく、ハワイの環境保全にも役立てられた貴重な場所ということができるでしょう。
※ 当ページは、以下の記事やレポートを参照しています。
・ IWATA, Beth. “Brief History of Foster Botanical Garden.” Historic Hawaii Foundation, 31 July 2021.
・ “A Bodhi Tree Birthday.” Edited by Victoria Wiseman, Honolulu Magazine, 8 Sept. 2011.
・ “Mary Foster, Patron of Buddhism.” Daily News, Ceylon, 11 Dec. 2019.
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